江戸時代の薬種中買仲間の系統を引く道修町の薬種問屋は、明治以降、次第に西洋薬の取り扱いに移行し、初めは外国商館から買い付けていた洋薬をのちに、外国から直輸入して提供する一方、簡単な薬品の自家製造に着手しました。
大正時代、特に第一次世界大戦による輸入薬品の途絶により製薬が奨励され、、有力な薬種問屋が製薬部門を発展させました。
その頃、未だ自社ブランド品はほとんどなく、自社製造の薬品(主に日本薬局方品)を、各社の○○印”純良薬品”として、その看板を特約店に贈ったものです。
これらの看板は、道修町の薬種問屋が商業資本から製薬企業へと進展する過程を物語るものと言えます。