今でいう看板の隆盛は江戸時代に入ってからのことである。特に薬屋の看板には金箔を張って贅をつくしたものが多かった。
能筆家や学者に書を頼み、腕の良い彫り師に作らせて、街道筋の評判になったり、錦絵にされるものもあった。
御所に献金して、菊花の紋章をつけた看板も薬屋には多かった。19世紀初めには、オランダ語の入った洋名の「ウルユス」「ホルトス」などの看板をあげて当時の世相を敏感に反映させたのも薬屋であった。看板には当時の商人たちの息づかいまで感じられる。
「月通丸」大阪市小林杏雲堂店先に据え置かれる型の看板で、重厚な印象を受ける。